2018年8月11日

岡部縫製

会社概要

創業
1971年11月 個人創業
従業員数
70名
事業内容
メンズ・レディスの高級ドレスシャツ、カジュアルシャツ、ニットシャツの縫製

沿革

1971年11月
福島県石川郡古殿町山上小作7-1に工場移転
有限会社 岡部縫製に商号変更
岡部英吉 代表取締役就任
1997年4月
岡部英一 代表取締役就任
2004年9月
中国上海に上海岡部服飾有限公司設立
2011年7月
廃校(山上小学校)跡地古殿町山上字仮宿54-1に移転
2014年8月
フィリピンマニラに工場設立
2015年4月
フィリピンマニラに工場50名体制で本格始動

私たちの想い

私は岡部英一と申します。自然豊かな古殿町に生まれ育ちました。古殿町が大好きです。

父が、「これからは農家では食べていけない」と考え、裁縫の得意だった母と共に起業したのが岡部縫製のはじまりです。私が10歳の時のことでした。

初めは実家の隣に、5~6人で作業衣をつくることから始め、仲間を増やしながら、カジュアルシャツ、ドレスシャツと布帛シャツを専門にやってきました。
その中で、2度の転機がありました。

1度目は、上海に工場を作った時です。
上海工場に仕事を回したことで、日本の工場でする仕事が取れず、苦しい時期がありました。
その時、「ニット生地で、ビジネスシャツ(ビズポロ)を作ってみないか」という話があり、藁をも掴む思いでチャレンジさせていただきました。
初めは、大変苦労しましたが、弊社独自の技術を開発して、布帛同様に美しい本縫いシャツをつくることに成功しました。
アパレル業界に「ビズポロの岡部縫製」と認めていただけるまでになったのは、社員一同努力した賜物だと思っています。

2度目は、2011年3月11日に起こった東日本大震災の時です。小学校の廃校に伴い、その校舎を利用した新工場を作る計画をしていた時でした。
震災に伴う原発事故の風評被害で、中国から来て働いてくれていた、技能実習生が全員帰国してしまいました。
また、ガソリン不足により日本人スタッフも出社が困難になり、生産枚数が激減、お取引先の皆様に多大なる迷惑をおかけしてしまいました。
度重なる余震と原発の騒ぎで、売り上げの激減、納期遅れ、毎日が苦悩の連続でしたが、いろいろな方に、たくさん、助けていただきました。
感謝しきれない思いでいっぱいです。
その頃に、若い世代や新卒の方がたくさん入社してくれました。
その若い力をラインの中心に置き、みんなで頑張っている姿をテレビや新聞が取り上げてくださったことで、工場が活気づいたことを昨日のことのように覚えています。

日本と中国で生産をしていましたが、将来を見据えて、2014年にはフィリピンにも工場を立ち上げました。
今となってはカジュアルシャツやドレスシャツだけでなく、いろいろなジャンルに挑戦しています。

弊社の目標は、「日本一のシャツ工場」「世界一のシャツ工場」です。そのために、日々の技術指導・研究を行っています。
そして、縫製技術を後世に残すべく努力をしてまいります。